Ruby Gnuplotでプロットしたデータの凡例を設定する
Ruby Gnuplotで複数データをプロットする場合凡例をつけたかったのだか、
なんだかよくわからなかったので、
凡例を設定したい場合どうすれば良いのか調べたまとめ
まずRuby Gnuplotでグラフを作成する場合このようになる
Gnuplot.open do |gp| Gnuplot::Plot.new( gp ) do |plot| plot.title "Array Plot Example" plot.xlabel "x" plot.ylabel "x^2" x = (0..50).collect { |v| v.to_f } y = x.collect { |v| v ** 2 } plot.data << Gnuplot::DataSet.new( [x, y] ) do |ds| ds.with = "linespoints" ds.notitle end end endhttps://github.com/rdp/ruby_gnuplot
これではds.notitleによって凡例を付けない設定になってしまう
Gnuplotでは凡例をつけようという場合、plot abs(x) title "|x|"のようにplotのコマンドに併記する形でタイトルをつけるが、
RubyGnuplotではds(DataSetクラス)にds.titleという変数があるので表示したい凡例を代入するとよい
File.open( "gnuplot.dat", "w") do |gp| Gnuplot::Plot.new( gp ) do |plot| plot.xrange "[-10:10]" plot.title "Sin Wave Example" plot.ylabel "x" plot.xlabel "sin(x)" x = (0..50).collect { |v| v.to_f } y = x.collect { |v| v ** 2 } plot.data = [ Gnuplot::DataSet.new( "sin(x)" ) { |ds| ds.with = "lines" ds.title = "String function" ds.linewidth = 4 }, Gnuplot::DataSet.new( [x, y] ) { |ds| ds.with = "linespoints" ds.title = "Array data" } ] end endhttps://github.com/rdp/ruby_gnuplot
ただ代入するだけで凡例を変えることができる
なんだか混乱して、ds.set "title 'x'"とかds.tilte "x"とかに間違えてしまった
ゲームセンターがうるさすぎるので耳栓を買った
このまえ耳栓をホームセンターに買いに行った。
ゲームセンターでは薬局や百円均一にあるような生活音向けの耳栓はあまり効果がなく、裸耳で耐え忍んでいたのだけれど、もしかしてホームセンターならば、騒音の中で仕事をする人がつかうようなものがあるのではないかとホームセンターを探すことにしたのだった。
業務向けの耳栓どこにあるのだろうとうろうろしていると、イヤーマフの並びにJISの何種とか減衰の性能の図表などが書かれた紙が同梱されている商品が置かれていた。
低音まで遮音できるものがあったのでそれを購入して、さっそくゲームセンターで試してみると、かなり騒音が減ったのがわかった。
やっぱりJISマークは違うぜ! としばらく調子よくゲームをしていたが、そのうち不思議なことが起こり始めた。
ときどき、突然、キーーーンと飛行機のエンジンのような音がするのだ。
気がついた時にはまさか耳鼻咽喉が馬鹿になったのではと思ったが、
何度目かのキーーーンの時に、唾を飲み込んだりあくびをしたり耳抜きをするとキーーーンが聞こえることがわかった。
どうやら、耳抜きをすると鼻や口から入った音が耳まで届いてとつぜんエンジン音がするらしかった。
耳栓を付けないとこのエンジンのような音まで直接耳に入るのかと驚いてゲームセンターでは耳栓を使おう考えを改めた。
それからゲームセンターでは耳栓をするようにしていて気がついたのだけれど、ゲームセンターでは音ゲーの位置にも気をつけなければいけないらしい。
音ゲーと自分との間に遮蔽物がない状態、特に音ゲーと自分のプレイする筐体に挟まれて音ゲーを背負うような形でゲームをすると耳栓では防げないようなズンズンした音がバンバン届いてとても辛い気持ちになる。
できるだけ音ゲーと自分の位置のあいだに遮蔽物を挟むのが良い。
朝ごはん
朝ごはんに
麺が食べたいような米が食べたいような
いっそ米を麺のように啜って食べたいんだよな
そんなの食べ物ないよなあと思い悩んで
とりあえず米に汁をかければいいんじゃないかとやるだけやってみたら
なんと目の前にお茶漬けが。
おへそ
へそをいじったらお腹を壊した
人ってそんなに単純じゃないだろとは思うけれど
へそが原因な気がする
へそを原因にしたくてしょうがない
気になる
先々週くらいからまた格ゲーをやりはじめた
格闘ゲームがすきでときどきやるんだけど、しばらくやらないで再開すると前より上手になるらしい
いままで自分の中ではなんとなくそういう感覚があったんだけど、格ゲーが上手な友達にお前前よりうまくなったって褒められたので思い込みじゃなかったっぽい
今回は半年くらいぶりの再開でまともになるまで二週間かかったので、1ヶ月から3ヶ月くらいがちょうどいいのかもしれない
そういえばほかにも、工作とか料理とかも間を開けて勉強し直すと前より上手になってる気がする
いっかい距離を置くと意味のないこだわりが抜けるんじゃないだろうか
百姓を勘違いしていた
このところ、僕のおじいちゃんは以前よりだいぶ穏やかになった。
数年前に大病をしてからなんだか呆けたような顔をすることがおおくなり昔の話をよくするようになった。
数日前にもおじいちゃんの所へ旅行のお土産を渡しに出向いて昔の話を聞いた。
その時に聞いたのはボラの釣り方や醤油や味噌の話で、ボラは目が冬に目が濁ってきたのが一番美味い、餌では難しいから河口で待ってのぼってきたところをギャング針を引っ掛けるのがいい、醤油はどう作るのか、どう絞るのか、醤油は三番絞りくらいまでいける、醤油の火入れのときにでる泡に薄く切った聖護院大根を漬けるととても美味い、味噌はどうつくるのか、味噌は大豆のつぶが残っているから使う前にすり鉢でよくすったほうが美味いというような話だった。
おじいちゃんの話は精細でとくに食べ物の美味しかった話では食べ方やレシピも詳しくてとても参考になる。
よく、おじいちゃんは自分の生まれた家を百姓だったといっている。
以前から、おじいちゃんは大きい百姓の家に生まれて食べるものには困らなかったらしいというようなことを聞いていて、なんとなく現代の農家ように、お米を作ってお金を稼ぐようなことを想像していたのだけれどそうではなかったようだ。
どうやらおじいちゃんの言うところの百姓の暮らしというのは一年中自分たちの食べ物を作って暮らすというような暮らしだったらしい。
米と麦と大豆と芋といくらかの野菜を作って、米から糠をとり、麦から醤油をつくり、大豆を味噌にし、麦芽や芋を煮詰めて糖蜜にする(あと、内緒でお酒を作る)。
それをたべながら冬を越してまた次の年には作物を作る。
お金は冬の間に作った藁製品を売ったり、自分たちで食べない分のお米を買い取ってもらったりで手に入るだけで、藁製品はもとより、お米もほとんど三等米、ごくたまに二等米で大したお金にはならなかったようだ。
おそらくはそのお金も塩などの必需品を買うためお金だったのではないだろうか。
おじいちゃんは、自分の食べるものを用意するために働いて、働くために食べる、そういう暮らしをすることを百姓といっていたのだった。
おじいちゃんはいつも昔話を楽しそう話しているけれど、ぼんやりと想像していた自給自足の豊かな暮らしというのではなく、一族でサバイバルをしていたのだなと気がついて、なんだか恐ろしさを感じた。