日本語能力について

最近、モンティパイソンなどのおかげで順調に英語の語彙が増えていると感じる。
ただ反対に、日常的に何かを表現するのに楽な方へ流れてしまうせいか、日本語で表現しづらい内容は日本語で表現せずに、他言語で表現してしまうことが増えたように感じる。
今日、中国のかたと話をする機会があって、出身地は千葉だと言ったら、ディズニーランドは行くか?東京には行くか?とたくさん質問を受けて、楽しく話をさせてもらったのだが、「池袋はごみごみしていて、ゴミの散らかった汚い路地とか結構あって、ぶらぶらしにいっても楽しい所ではないですよ。」という日本語ではそう珍しい表現は使われていない内容の話をうまく伝える事が出来なかった。
ここで適当な英語を使ってみても相手の方が遥かに膨大で正確なで正しい英語知識を持っているので、日本人to日本人でよく使われるでたらめなニュアンス英語を使う事は出来ず、日本語をもちいて同内容で簡易な表現に訳する形となってしまい困ってしまった。
まず、"ごみごみした"というのが伝えられなかった、いろいろ"雑多な""雑然としていて"などと言い換えたのだか、伝わらない。そもそも、ごみが散乱していて、さらにごみごみしている。などという難解な内容を理解できる方が不自然なのかもしれない。結局、その部分は"整理整頓が行き届いていない感じ"と言うことで納得してもらった。
次が問題で、前述の"ごみごみした"と"ゴミが散らかった"という表現の兼ね合い。同じ単語が繰り返されただけで、名詞が形容詞と化し、さらに、特にゴミとはかぎっていない意味で使われるというカオス。まぁ、ここは単純に相手の方の理解力の高さのおかげで普通に理解していただけた。
最後、ぶらぶらである。反復シリーズ。"目的無しに気が向いた方へふらふらと歩く"といいかえてみてもまたも反復。反復が反復を用いるリカーシブルっぷり。結局ここについては言及できずに話は終わった。

今日は日本語の会話というのがお互いの語彙や経験によって左右されるかがわかった。
とはいっても相手のかたは凄く日本語が上手で普通に話をするぶんにはへたな日本人よりは遥かにはなしやすかったのだが。