お米.txt

 飯が美味く炊けるというのはたいへん難しいことで、上手に飯を炊こうというには、大変頭と神経を使う。
 美味い飯とは何か。美味い飯とは、そもそも美味い粥を吟味しなければならない。
 粥には、飯を湯でのばした入れ粥と、米を炊いた炊き粥がある。飯を湯でのばした入れ粥は、炊き粥の安易な代用品であるため、粥と言えば炊き粥をさしていると思って良い。炊き粥は、たっぷり水を吸わせた生米を水から煮て作るものであるからして、飯と炊き粥は同じ物だとして差し支えないだろう。
 炊き粥は、米から滲みでた”おねば”がすくないほど食後感が良く美味い。また芯まで火が通っていなければ論外である。では、”おねば”を減らそうというにはどうすれば良いか。炊くためにつかった水が少なければ少ないほど炊きあがりの汁気がなく、”おねば”は少なくなる。より美味い粥にしようと、炊き粥を水をできるだけ使わずに、しかし、芯までしっかりと火が通るように炊く。そうしていくと炊き粥は飯になる。
 ならば、美味い飯とはなんだろうか。よりおねばを少なくした飯。つまりさらに水を使わずに炊いた米に違いない。飯がたけるのにちょうどぴったりの水で炊いた飯である。おそらくは蒸し米のような物なのではないだろうか。外硬内軟に蒸された米はひとつぶひとつぶしっかりとして歯ごたえがあり、蒸し米は大変美味しいものだった覚えがある。
 蒸し米のような飯を炊くには、はじめに米に吸わせた水以外の水を炊いている最中にすっかり飛ばしてしまえばよいのではないか。もっと高望みをすればはじめに米に吸わせた水のみで米を炊き上げればまったく”おねば” は出ないに違いない。