百姓を勘違いしていた

このところ、僕のおじいちゃんは以前よりだいぶ穏やかになった。
数年前に大病をしてからなんだか呆けたような顔をすることがおおくなり昔の話をよくするようになった。

数日前にもおじいちゃんの所へ旅行のお土産を渡しに出向いて昔の話を聞いた。
その時に聞いたのはボラの釣り方や醤油や味噌の話で、ボラは目が冬に目が濁ってきたのが一番美味い、餌では難しいから河口で待ってのぼってきたところをギャング針を引っ掛けるのがいい、醤油はどう作るのか、どう絞るのか、醤油は三番絞りくらいまでいける、醤油の火入れのときにでる泡に薄く切った聖護院大根を漬けるととても美味い、味噌はどうつくるのか、味噌は大豆のつぶが残っているから使う前にすり鉢でよくすったほうが美味いというような話だった。
おじいちゃんの話は精細でとくに食べ物の美味しかった話では食べ方やレシピも詳しくてとても参考になる。

よく、おじいちゃんは自分の生まれた家を百姓だったといっている。
以前から、おじいちゃんは大きい百姓の家に生まれて食べるものには困らなかったらしいというようなことを聞いていて、なんとなく現代の農家ように、お米を作ってお金を稼ぐようなことを想像していたのだけれどそうではなかったようだ。
どうやらおじいちゃんの言うところの百姓の暮らしというのは一年中自分たちの食べ物を作って暮らすというような暮らしだったらしい。
米と麦と大豆と芋といくらかの野菜を作って、米から糠をとり、麦から醤油をつくり、大豆を味噌にし、麦芽や芋を煮詰めて糖蜜にする(あと、内緒でお酒を作る)。
それをたべながら冬を越してまた次の年には作物を作る。
お金は冬の間に作った藁製品を売ったり、自分たちで食べない分のお米を買い取ってもらったりで手に入るだけで、藁製品はもとより、お米もほとんど三等米、ごくたまに二等米で大したお金にはならなかったようだ。
おそらくはそのお金も塩などの必需品を買うためお金だったのではないだろうか。
おじいちゃんは、自分の食べるものを用意するために働いて、働くために食べる、そういう暮らしをすることを百姓といっていたのだった。

おじいちゃんはいつも昔話を楽しそう話しているけれど、ぼんやりと想像していた自給自足の豊かな暮らしというのではなく、一族でサバイバルをしていたのだなと気がついて、なんだか恐ろしさを感じた。